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1 ::2005/12/15(木) 18:07:57
 

2 :1@CLIE ◆GodOnnFcO. :2005/12/15(木) 18:08:49
 

3 ::2005/12/15(木) 18:13:37
神は火である。
まさに神は炎であった。

しかし神は俺を痛めつける。
もはやこれまでか?
ついに腰を痛めてしまった。
他の人にとってはまだ大丈夫でも俺にとっては致命傷だ。
保険がない、金がない、身寄りがない・・・・・・

神は痛めつける
あるいは神ではない超越者であるかもしれない



4 :1@CLIE ◆GodOnnFcO. :2005/12/15(木) 18:15:08
神ですが何か?

5 ::2005/12/15(木) 18:17:56
数ヶ月前に指を骨折したときはまだ良かった。
治りさえすれば、何とかなるのだから。
(人生初の骨折だった)
しかし腰はそうはいかない。
正月を前にして俺は治療費として所持金のほとんどを散じてしまうのではないか?

6 : ◆7Yu73NghUs :2005/12/15(木) 18:19:34
etsy

7 ::2005/12/15(木) 18:24:12
神は誰にとっても炎であるのか。
そうではない場合があるのではないのか。
炎であるのは極少数の者にだけであるのではないのか。
そして、俺に与えられるのは氷の世界か。

8 ::2005/12/15(木) 18:30:21
俺は思う。
俺は別の道を歩んできた。
いつからか、そしてそれは久しい。
その道の到達点に炎があった。
だが、今の道は違う。
それでも、大分苦労して戻しもしたが。
だが、これほど戻してきているのに、
戻せば戻す程に風圧が強くなるのは何故なのか。
その道は善であるかもしれないが、
しかし、戻すことは悪であるとでも?
そんなことがあるのか?

9 :有為の奥山今日越えて浅き夢みじ酔ひもせず ◆Pj.rsagelo :2005/12/15(木) 18:34:10
んまああわれ

10 ::2005/12/15(木) 18:37:50
現在の生、「この世」の臨界点での炎ならば喜んで迎えられよう。
しかし、そうはならない場合、それはなんとも不可解である。
そんなことが許されるのか?
神が喜びを欲っさないということが有り得るのか?

11 : ◆whFvI4to0o :2005/12/17(土) 13:57:02
tesy

12 :名無しちゃん…電波届いた?:2005/12/18(日) 22:37:04
ナンセンスのプラットホームから飛び移れ

13 : ◆QAxfkV4alA :2005/12/19(月) 17:44:22
tsedyer

14 ::2005/12/19(月) 18:13:16
このスレは以前俺が建てたスレの続きにする。
以前のスレがどういうもので、俺のコテハンがどういうものだったのかは、
推測できる人だけが推測すればいい。まあ、別に隠すこともないが
敢えて教える気ナシ。(なんとなく気分で・・・)

15 ::2005/12/19(月) 18:18:11
福田和也の『イデオロギーズ』を大して読んだわけではないが、
それからインスパイアされたものを語ってみる。
(とは言ってもそれはそのその本の解説であるどころか、その本とはまったく
関係のないトンデモを話すので注意されたい。要するにその本でなくともいい、
その本を単に言ってみたかっただけだ)

16 ::2005/12/19(月) 18:23:37
その本はテクノロジー、暴力、自由、信仰、愛と項目が分かれており、
愛の項目の最初においてアウグスティヌスについて書いている。
アウグスティヌスによれば、アダムが禁忌を破ったのは「善意の配慮」「他者(エバ)への配慮」
のためだと。

17 ::2005/12/19(月) 18:30:29
これによって楽園を追放されることになったと。

その本とは別のことを書く。

同じく聖書における「楽園追放」についての勝手な思いつきで、自分でも
何となく思ったこと。そして、またすぐにその考えを忘れるということによって
次に活用できるかな?と思えるときまで偽りであるだろうとして半ば捨て去るその考え。



18 ::2005/12/19(月) 18:37:12
「善悪知識の木の実」をエバ及びアダムがそれを食べ、自分達が裸であることに気付き、
恥じ、木陰に隠れることになる。これが罪であるかあるいは罪の一環であるとされる。

これを超解釈する。
これは、遥か昔の出来事なのではない。
これは、すべての人間に言えることで、まだ「男」とも「女」とも意識していなかった
「幼児期」のことだ。
幼児は男とも女とも意識せずに接し、ただ知識だけを吸収する。
というか、遊んでいたら知らぬうちに知識も吸収できていたというものだろう。

19 ::2005/12/19(月) 18:45:39
ここで言う「罪」とは「狂気」もしくは狂気に繋がる「寂寥感」とでもしておこう。

では、人が「男」と「女」を意識することで、そうした「狂気」や「寂寥感」というものが
生じるか?というとそうではない。寧ろ「幸福」になることの方が多いであろう。

だが、それは、最初の「男」も「女」も意識していないことによる「遊び」による「学習」
の量がどっしりとしているからこそ、出来るのではないのか?

20 ::2005/12/19(月) 18:52:08
問題なのは、この最初の「どっしりとしたもの」が破壊されることである。
そしてこれこそが(ここでいう)「罪」であるとでもしておくか。

ということになれば、「男」と「女」を意識しても、まだ、その初期のものがどっしりと
キープされている人の場合、それは罪ではないのではないのか?
今のところ、それは「YES」でいいだろう。(あとで変更するかもしれないが)

21 ::2005/12/19(月) 18:58:42
その初期の「男」も「女」も意識しないことによる精神の持続、延長が延々と
続いてゆく場合はいいが、それが「男」と「女」を意識しだした後に
破壊された場合、もう既に「男」も「女」も意識している後のことであるのだから、
「男」も「女」も意識していない状態に戻ってそれを「復活」させることなど
普通は不可能である。

22 ::2005/12/19(月) 19:02:21
「男」も「女」も意識している状態で且、その初期の「男」も「女」も
意識していなかった時に得た精神の持続が破壊されずに続いているのが、一般的に
よくいるであろう健常な人間の精神である。


23 ::2005/12/19(月) 19:08:00
哲学とは後に生まれた。
最初にあるのは哲学ではない。
哲学とはある意味、その人間の触れ合いに対して「否」を投げ掛けざるを得ず、
それは、最初の状態を意識しようとする一方でそれを破壊する危険性をも
少なからず増長させる。

24 ::2005/12/19(月) 19:16:56
この「楽園追放」の解釈は、「男」と「女」を意識したから「罪」だというわけではなく、
「男」と「女」を意識する以前のある精神状態もしくは、発言の流暢さもしくは、行動のスムーズさ
そしてそれを含むある精神状態を破壊させてしまうかもしれない可能性を生じさせることにある。
それは、多くの人にとっては一生キープできるもので、ある意味容易い。
だが、ごく一部の人間にそういう者が出て来るという、ただそれだけのために「罪」と言われている
というようなものかもしれん。

25 ::2005/12/19(月) 19:21:24
つまり、神というものが居て、この解釈の通り「罪」というものを規定しているのだとしたら、
その「Aという人間」は一生「罪」の状態に陥らないのを知ってはいるが、
ある極一部の人間が「罪」の状態に陥るのが未来に見えるので、「人間達全員」連帯責任として
「罪」があるとするようなものだ。

26 ::2005/12/19(月) 19:36:31
キリスト教の神学でよく言われるように、「キリスト」とは(父なる)「神」の(子なる)「言葉」である
いうのや「キリスト」=「神」=「命」=「真理」=「愛」=「道」=「御言」というのを
ここで如何に用いれるかを考えてみる。

人間が幼児の頃の無邪気さを維持し、「男」と「女」を意識し過ぎずに接することのその「本流」を
その「炎」を消さないようにすること。つまり、「男」と「女」を意識し過ぎて、
その流れから身を引いて身を隠すことは本来あることではない。
まあ、それは「理想」だ。現実が実際にそうではないにしても、極端にそうでなければ問題はない。





27 ::2005/12/19(月) 19:49:04
普通、赤子というものは、自分の親もしくは保護者の元で意識を覚醒させる。
人は子供の間、この保護者及び家族と共にあるのが一般的である。
そして、学校に行き、恋をして結婚というのが大抵の流れである。

この結婚というものは文化によって、どう違うかは別として、大抵は祝福された式典(結婚式)
を挙げる。(あるいは挙げない人もいる。だがそのような人でも「挙げれればいいな」という憧れもしくは
望みがある。もしくはあった。あるいは極稀にそういう願望を一切抱かない人がいるにしても
他の人がそういう憧れ、もしくは願いを持つということの気持ちの感じはほとんどが知っている)


28 ::2005/12/19(月) 19:58:24
大抵の人はそのような結婚式を可能ならば、挙げたいもしくは挙げてもいいと思い、
もし、それが経済上不可能であるとしても、お互いの家族に祝福されたい。そして更に、
お互いの家族を行き来したい。そう考える。
そして、それはある意味既に「常識」である。
自分の保護者、自分の家族との行き来というものは、その行き来という「反復」によって、
常に同じ感覚が刺激されており、それゆえの「長期記憶」を可能としている。
そして、それが「学力」にも関わり、つまり、その感覚の長期記憶が「学力」の「補佐」にも関わり、
作業能力の補佐にも関わるのである。

29 ::2005/12/19(月) 20:09:26
この現実的なもの。これとは別に「理性」というものを抽象化しようとするところに、
その現実を貧弱化させる原因があるのではないのか?

それはカトリックとプロテスタントで喩えるとすれば(そんなので喩えれるのか???と言うだろうが、勿論トンデモ)
カトリックである。
つまり、「哲学する側」がカトリックであり、それを脱するのがプロテスタントである。
カトリックの「観照」をプロテスタントは禁欲し、「実利」に走る。
歴史的には「予定説」が深く関わる。

30 ::2005/12/19(月) 20:14:42
このカトリックとプロテスタントというもの、そして「全哲学」が既に「神」によって
予知されており、その上で「聖書」が作られたのだとしたらどうだろう?
それは、この現代もそして未来も含まれている。
その中でのある意識状態を文字化したのが「聖書」ではないのか?

31 ::2005/12/19(月) 20:18:31
ヤーヴェがあれ程「怒れる神」なのはこの「現代」に関わるからなのではないのか?

32 ::2005/12/19(月) 20:22:49
「聖書」とは我々の何かを記録したものなのではないのか?
だとしても、そんなことどうやって調べられようか?
例えば、それが日本を問題としているのか、アメリカを問題としているのか、
世界全体を問題としているのか、それ自体が見当が付かない。

仮に「日本を問題としている」とした場合、それはどうなるか?

33 ::2005/12/19(月) 20:28:07
今、現代の日本だけに絞るとしたら、
「ポスト・コロニアル」であり「アノミー」である社会であり、
「戦争放棄の平和憲法」を持ち、「少年法」とそれによる犯罪の若年齢化、
そして、「複製技術」の極みとして登場したテレビ、そして、宇宙開発、
マルクス主義運動とその挫折などなどだろう。

34 ::2005/12/19(月) 20:33:59
この「複製技術の時代」であることは重要である。

恐らく「聖書」が単純ではないのはこれのためだ。

「神は全てを予知していた」にしても、神の欲望はそれでは済まず、
出来ることなら「神が予知していなかったこと」をも欲求する。
「神が予知していなかったこと」とそしてそれによって「神も又翻弄される」ことをも
含めて、より「豊穣」になるのである。

35 ::2005/12/19(月) 20:46:59
恐らく、神にとってこの「複製技術」は予知していた一方で「予知していなかった」。
そういう分裂が有ったのではないのか?

「聖書」では「未来に於いて救世主が飛来し全治を治め、悪の実体化した存在を打ち砕く」
というような単純なものがある。

そういう期待は「ヨーロッパが全世界に行き渡った時点でそうなる」つまり、
その時点で救世主が現れるというものだった。

ところが、ここで予定外のことが起きた。
それが「複製技術」である。
この「複製技術」の可能性はあまりにも豊穣であり、全地にヨーロッパが行き渡った以上に
「その極み」に行き渡ることは「果てないもの」のように見えた。
もはや、世界を終わらせ、救世主を迎えるところまで来ているのに、ここで全く
不測の、例外が世界に出現してしまった。人々は思った。
「その行方を見てみたい。救世主もいいが、その後でも遅くはない」

36 ::2005/12/19(月) 20:50:25
それは、ある意味「無限」あるいは「実無限」である。
救世主はこれに「映されること」を望むか?
いや、そうは思えない。
救世主はここで出ていこうにも出ていけない。

37 ::2005/12/19(月) 20:54:29
現代の、その「複製技術時代」の我々はどうなのか?
ある意味、その「テレビ」というものが大いなるモチベーションとなって、
人生を滑走する者もいれば、その逆にテレビに映ることを恐れる者もいるだろう。
その人にとっては、それは究極の兵器である。

38 ::2005/12/19(月) 21:02:19
これは実に刺激的で、ある種の残酷を勧誘する。
ナチズムのユダヤ人に対するホロコーストもこれによるのではないのか?
学校のいじめにしても。

それは、それまでの時代はリハーサルであった。これから時代が本番、
花の舞台である。その花の舞台で醜態を晒させ、未来永劫その醜さを記録しよう
という黒い欲望。
そのようなものがあったのではないのか?

39 : ◆SzmAX6tOa6 :2005/12/22(木) 23:54:39
steyd

40 : ◆4Zw9T2dTzc :2005/12/23(金) 10:12:40
tseyd

41 : ◆z3S8Na5HrE :2005/12/24(土) 15:04:52
etsyder

42 : ◆7nB2PhJgK6 :2005/12/26(月) 16:45:44
estrdy

43 : ◆5IC3xzphQA :2005/12/27(火) 14:53:52
tesyd

44 ::2006/01/02(月) 16:09:20
は〜〜
まんどくせええ


あけおめーーー


ああ難しいいい

基地外な発狂した考えから出発するしかぬあああい!

45 ::2006/01/02(月) 16:17:18
人は生きている。
それは「なぜ生きるか?」という問い以前からであり、
気が付いたら既に生きているのであって、そのような問いは
「生きるのが苦しい」とか「生きるのがつまらない」というような場合においてしか
出て来ない。
論理以前に「生きることは圧倒的に当然である」というような
圧倒的な生きることの欲求があり、又圧倒的な肯定性があるのではないだろうか?

それを支えている一つのものとして、「美」があるとしてみる。
「美」が生きる欲求の大半を支えるものとしておく。

46 ::2006/01/02(月) 16:23:41
人間一人一人は得意分野が違う。
すべての人が集まってすべての分野は補われ完遂される。
各人が各人なりに美を捕らえることが出来るが、
各人がすべて美の職に就けるわけではない。
美の職に就いた人が美の職に就かない人に比べて
美の感覚が優れているのではないにせよ、
大方はそちらの方が優れているとでもしておこう。

47 ::2006/01/02(月) 16:31:56
偶然、そのような職に就く人、つまり幸運から(人によっては不運から)
そのような美の職に就く人もいれば、その職を辞める人もいる。
又、今現在そのような美の職に就いていないで別の職についている人が
将来においてその美の職に就く場合もあるし、逆に急に美の技術がなくなる人
(あまり想像はできないが)もいるかもしれないとしておく。

48 ::2006/01/02(月) 16:36:24
それは元々そうなる運命だったのか?
俺にしてみればある意味運命だがある意味運命ではない。

というのは、美の職に従事する人数の最低限をクリアーするだけの人数
さえいれば、多少、人は入れ代わってもいいからである。
だから、それだけの人数のキープだけが絶対的に運命的なのであーーる。

49 ::2006/01/02(月) 16:40:52
ある意味、最初美の職に就く人は決まっていた。
だが、それは変動し、今ある形になった。
今ある形というのは、では全く決まっていなかった、もしくは
想定されていなかったのか?というとそうではない。
それも可能性としてはあった。
それは幾番目かの可能性としてである。

そういう意味ではそれも又運命といえば運命なのであーーる。

50 ::2006/01/02(月) 16:48:42
しかし、この「美」は単に生まれつきだけの問題ではない。
それはその育った家庭や教育環境や友人などとの関係などにもよる。

最初にそういうものがあってそのような芸術家が誕生したと取るか、
前以てそのような芸術家というものが超越的に決定されており、
そこから、そのような家庭や教育環境や友人が後から生み出されたと
取るか・・・取り合えずはその両方であるとしておく。

51 ::2006/01/02(月) 16:55:33
この社会を見て、「なぜにこれほどのものが有るのだろう?」と考えるとき、
この「なぜ」に相当するものとして「学校がある」ということが
必然的に想定されるとしておく。

人間が赤ん坊から大人になることの観察上の経験からして
そこには幼児用の学校や少し大きめの子供用の学校や青年用の学校はあるだろう
と必然的に予想は可能である筈である。


52 ::2006/01/02(月) 18:45:46
実際の学校というものを見てみると、小学6年と中学1年というのは
わずかな差に見える。
しかし、実際はそうではない。
まず、中学1年に於いて大抵の場合、別の小学校の生徒と同じクラスになる。
更に日本の場合大抵、制服を着る。
そして、小学6年というのは小学1年〜小学5年と同じ場に存在し、顔を合わせており、
中学1年というのは中学2年から中学3年と同じ場に存在し、顔を合わせている。
中学3年だけが「受験生」であるにせよ、既に中学1年というものは社会的には
準備段階に置かれている。(当の本人が意識するにせよしないにせよ)
そして、「部活」というもの。

53 ::2006/01/02(月) 18:47:52
そして、学問が急にランクアップするということ。
算数が数学となり、英語というものが出てくる。

54 ::2006/01/02(月) 18:51:35
ここで、既に「将来の職業」なるものを具体的に決めて掛からねばならない
ような緊張感が走る。
ある意味それまで養われる側だった者がいつかは、或はもうすぐにでも
自立せねばならない、或は養う側に立たねばならないとい現実に突き当たる。


55 ::2006/01/02(月) 18:57:54
中学1年というものをそういう現実に突き当たるものとすると
小学6年というのはまだ辛うじてそうなってはいない。
小学6年というのは、それ故に中学1年以上に夢を大いに抱けるというか、
あらゆる夢を(夢であるに過ぎないが)自分の手中のものとできるときである。
その意味ではこのときが最も完全であるかもしれない。

56 ::2006/01/02(月) 18:59:35
52や53への付け足し。

教師が大いに変わる。

57 ::2006/01/02(月) 19:07:44
中学というのは自分の周りをより造形して自分の可能性に大いに挑戦する。
小学ではそのような限定を狭める以前の無邪気さによる色々な試みがある。
それは飛び上がる以前の「ため」みたいなもんである。

58 ::2006/01/02(月) 19:13:53
子供らの美の造形に於いて殊に現代に於いて重要なのは有名人、
殊に芸能人である。
彼ら子供らが、無邪気に「誰々(有名人)が好き」とかその有名人の真似をする光景
というのは恐らく誰でも容易に想像が付くのではないか?

この「自分は誰々のファンであり、誰々のどの作品が好きで、どこそこで
その誰々を見に行きたいし、出来れば有ってもらいたい」
と思うことを実際に親なり友人なりに言っているとする。
これは「言っていない」に比べて重要なことである。

59 ::2006/01/02(月) 19:17:44
そう周りの人に言っておくことで周りもそれを承知し、その実現に向けて
具体的な行動のプランをも練り得るからである。

そして、これが具体的な芸術的造形的一作品とも言え、そして大いなる一歩
であるとも言えるのであーーる。

60 ::2006/01/02(月) 19:24:15
彼ら子供は労働しないで済む分、労働を気にせずに勉強なり遊びなりを
することが出来る精神である。

いきなりだが、>>32の問題とこれを結び付ける。

これは聖書の産出の問題と関係があると。


61 ::2006/01/02(月) 19:26:43
創世記、出エジプト記などに出て来る(のちのユダヤ人である)ヘブライ人
というのは、意識における何かを文字化したものなのだ。

62 ::2006/01/02(月) 19:31:00
今ひとつの候補として小学6年を挙げた。
もう一方の候補として労働者として定着せずさ迷う半狂人をも挙げておく。

もしくはこの二つが組み合わさって出来ているのではないかとも思ったりする。

63 ::2006/01/02(月) 19:35:05
なぜに神は怒れるのか?

それは「神は善でなければならない」という通念に対する怒りではないのか?

64 ::2006/01/04(水) 08:39:24
この日本に於いて漢字、平仮名、片仮名及び実際の歴史上の殊に思想史上の人物、
殊に西洋文明を受け入れてから自国と他国を論理的に分析できるようになった
思想史上の人物(多くの場合一般人が知らないような知名度では相当低い人々)を
知るということと、西洋のアルファベット及び思想史上の人物を知ることとの
接点、融合に於いて神は炎を灯す。

65 : ◆XUIBSy5Vp6 :2006/01/04(水) 17:23:53
tsed

66 : ◆eGakEr1RNY :2006/01/05(木) 14:54:04
tesyd

67 ::2006/01/05(木) 19:22:57
映画と都市とファッションというもの。


その現代的な建築物というものは、それに相応するファッションというものを訴える。
そうでないものに対して「挑発的」である。
その建築物その内装、外装自体が一つの「ロック」なのだ。
人はそれを吸い、自らがそれに相応しくないことに緊張し、恥じ、
何とか修正しようとする。
一つのハードボイルド(暴力性)が要求されもする。
その「暴力性」は良識者にとっての必要物になり、
逆にそれが出来ない場合、それが出来ている随伴者にとっての有害者(ある意味加害者)になる。

68 ::2006/01/05(木) 19:27:15
そこでの個人主義はアノミーから来た、あるいは自由思想から来た個人主義
とは又別のものである。それは「傷」ではない。それは一つの「悦」であり、
それによって個人主義でもありながら連帯感をも強めている。

69 ::2006/01/05(木) 19:35:17
人はまずこれ程までの商品社会が有ることに驚く。
というよりも、その人が存在するからこそ、これ程までの
商品世界が出現したのだが。人間が存在するということは必然的に
人間の欲望が存在するということである。そこで、社会が完全であるよりも
まず欲望に従った商品は出現せねばならない。ただし可能な限りで。
社会の完全よりも商品の方が先行するので必然的に資本主義というものが
現代及び過去において因果律を守った形で出現した。

70 ::2006/01/05(木) 19:45:13
現代の神学というものがハイデガーの影響の元にある。
だが、この資本主義の精神というものがというものがプロテスタントの倫理に
少なからず負っているならばそこに神が関わっているかもしれないというような
神学もあっても良さそうだ。(有るかもしれない)

71 ::2006/01/05(木) 19:54:22
新約聖書では「暗い顔をするな」「目を明るくせよ」ってなことが書いてある。
俺は前のスレでも書いたが、「神を求めるというのは場合によっては有害なのであり、
それならば寧ろ愛を求めよ愛が神であるというイエスの主張が正しいならば、
それは神をも求めたことになるのだから」ということに有効性があるのではないかと
まだ思っている。この有害性が律法主義的であり中世のカトリック的であるとしてみる。

72 ::2006/01/05(木) 20:05:23
そうすると、その意味では旧約の神ヤーヴェと新約の神の子イエスは
「似ている」と言えるのではないか?

旧約の神ヤーヴェが嫌悪したのは、実は彼が寧ろ望んだと思える「犠牲」ではないのか?
「犠牲」とはある意味「命令」であるのだが、たとえば「社会を自由にするために自分の自由を捧げよ。
(そしてそれこそが真の自分の自由なのだ)」という命令は自分の特殊性を一般性の改革の
ために犠牲にせよ。というようなものだが、ヘーゲルは異なり特殊性と一般性の双方を犠牲にせずに
止揚しようとするそれを「良心」とする。
それが仮に正しいとすれば、「犠牲」とは「良心ではないもの」ということになるのではないか?


73 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/01/05(木) 20:11:36
カント的な自由では悪というものが不可能かあるいは入る余地はあるものの
ほとんど無いようなものではないのか?ヘーゲルの場合の自由では悪というものの可能性が
充分にある。その可能性がある上で一般と特殊を統一することが「良心」なのである。

74 ::2006/01/05(木) 20:15:07
73は俺

「神は善である」という人間の主張は神の不可知性を無視するものである。
人間の物差しで捉えられるという前提にそれは閉じ込めるようなものだ。

75 ::2006/01/05(木) 20:23:15
神は神の特殊を犠牲にせず、神の他者たる人間の側への配慮も行う。
それが神の側の配慮というものではないか?

ただし、『神との対話』という本があるが、その神が正しいとしての話だが、
この聖書の神は本当の神ではないという。
神が怒ったり命令するというようなことは有り得ない。ということだ。
それは至極最もである。

76 ::2006/01/05(木) 20:25:21
訂正
×神の側の配慮
○神の側の良心

77 ::2006/01/06(金) 21:09:10
意識とは既に対象と自我の二重物であり、この二重物の弁証法的運動が
へブライ人であるように文字化された。もしくは配置された。

78 ::2006/01/06(金) 21:30:17
そしてこの意識が死への先駆的覚悟性に於ける時間の精起が
神の臨在であるように文字化された。もしくは配置された。

79 ::2006/01/06(金) 21:32:01
というのは何の根拠もない。

80 ::2006/01/06(金) 22:13:00
意識は既に歴史を含んでいる。

久保有政は『ゲマトリア数秘術』でたしかへブライの歴史とヨーロッパの歴史を
相似するものとして捉えた。(未来に於いて黙示録のようなことが生じるというのは
この俺もどうも付いてゆけないが)

この相似が的を得ているとすると、それを>>77の定式で説明しようとすれば、
その二重物の弁証法的運動が古代へブライ人とそれの反復であるようなヨーロッパ
もしくはキリスト教の歴史であるように文字化されたか、もしくは配置された、とでもなる。

81 ::2006/01/06(金) 22:48:14
意識は既に対象と自我の二重物である。
これはへブライ人であるように文字化、配置化されただけではなく、
日本のマルクス主義運動であるようにも文字化、配置化された。
そして、それは砕かれた。


82 : ◆1pIR3/dWT2 :2006/01/07(土) 21:29:51
tesd

83 ::2006/01/11(水) 17:46:11
「奇妙な静けさ」とか「静か過ぎる」とか「張り詰めた空気」とか「息が詰まる感じがする」は一体どいうものなのか?
俺はよくは知らないが、それは「1/fゆらぎ」というものに反したものを感知しているということではないのか?
それは又「自然」ではなく「不自然」であり、そして「不快」であり「ちょっとした苦しみ」であり、「不自由」である。
「自由」とはその意味で「そこから1/fゆらぎへと脱け出そうとすることである」とも言えるのではないだろうか?
その「張り詰めた空気」というのはある意味「蛇に睨まれた蛙状態」であり、「監視」されているような
「落ち着かなさ」がるのではないだろうか?

84 ::2006/01/11(水) 17:52:01
それは「抑圧」であり「非カタルシス」である。

それは産まれた頃から有るものではない。
その「不自然」は最初から有るわけではない。
それが生じる場合、途中から生じるのだ。
そして、これは少数であろう。

85 ::2006/01/11(水) 17:55:35
大方の人間の在り方というのは気が付いたときは既に複数である。
その複数の状態でその幼児は倫理など考えるはずもなく欲求、本能のままに生きる。
本能のままに叫び、本能のままに泣く。

86 ::2006/01/11(水) 18:03:11
このとき、不自然であるはずはない。
子供というものは親というものを本能的に「運命共同体」として「究極的な何か」として捉える。
その無償の「世話」に圧倒的な愛を感じる。
それは子供の「長期記憶能力」に最大限に貢献する。
それは「剰余」として蓄積され、それは備給として、他の人達とのコミュニケーション
にも分配される。

87 ::2006/01/11(水) 18:09:52
その幼児もしくは子供は小学生の頃にかあるいは中学生の頃にか、自分の本能の
赴くままに生涯やってゆくくらいの「好きなこと」を見つけるのが普通である。
それは大抵が「部活」である。
そこで似たような人々が自然と集まってきているわけで、そこでは自然と「好きなこと」を
「好きなように」しゃべりあう。
そこに遠慮というものの必要というものも思わない。
必然的に「会話」は盛り上がるのであって、会話が仮に途切れることがあっても、
それはわずかなものである。

88 ::2006/01/11(水) 18:18:47
とかろが、その「好きなもの」があるのに、何かの原因でそれが出来ない場合、
そしてそれをせぬまま長期間、別のことをしているとする。
恐らくこの辺で人間はおかしくなってくるのだが、我慢の限度で戻れば、まだ
「自然」な状態に戻れるだろう。だが我慢の限度を越えてもその好きなことへ戻らない場合、
意識に於いて、「何が自分の本当に好きなものであるのか?」が分らなくなってくる。
その「好きなもの」は「他のもの」へと変わるわけではなく「残り続ける」のだ。
それは「抑圧」されて「無意識」へと追いやられ、意識ではもう「気にしていない」ようになっている
のだが、それは「途中で黙り込む」というような形で主張し続けるのである。

89 ::2006/01/11(水) 18:30:46
それは「無」ではない。
そのようなものは「有」であり、そして最も克服困難な「有」である。
その「沈黙」は全く「無い」のではなくて人々にとって理解困難で且おぞましい
出来れば近寄りたくない「有」なのだ。

90 ::2006/01/11(水) 18:38:27
その「不自然」とは、自分が気が付いたときに既に有ったものを、
自分の思考で一からやり直して作り出そうとするものである。
思考が悪いのではない。問題なのは「思考以前」を全て「思考」に交換してしまうことだ。

91 ::2006/01/11(水) 18:40:44
恐らくこれが、イエスが言う「私を殺す者は許される場合があるが聖霊を殺す者は許されない」
というものなのだ。

92 ::2006/01/11(水) 18:54:21
それは「言葉が足りない」というだけの問題ではない。
(訓練によって言葉を大いに話せるようになることによって、そのような
「異常さ」が消え去る、もしくは目立たなくなり、自分でも大して問題ではなくなる
場合は無いとは断言できない。だがその保障もない。)
訓練によって言葉を大いに話せるようになったとしてもその「おぞましい感じ」を持ち
続けたままであるならば、何ら変わらないか、もしくはそれ以上に人々は背筋を寒くする。

93 : ◆XitiIiMrYM :2006/01/14(土) 00:50:44
tesdy

94 : ◆vaglPb7Zvs :2006/01/14(土) 20:23:20
tesdy

95 : ◆S1W2EiIe9. :2006/01/17(火) 01:26:21
tesyd

96 : ◆H/jyz4d9BA :2006/01/19(木) 23:00:22
tesyder

97 : ◆RnHFW/wzxU :2006/01/21(土) 15:01:34
etsdy

98 : ◆E3oKoxplhQ :2006/01/23(月) 22:57:06
tesyder

99 :-【存在】-:2006/01/25(水) 17:47:07
iryaser

100 ::2006/01/26(木) 19:49:07
こおおおおおなああああああゆううううきいいいいいい
なんたらこんたらああああああああ






101 ::2006/01/26(木) 19:50:28



というわけだ。





102 ::2006/01/26(木) 20:02:10
ついに追っ手が来た。
取立て屋だ。油断していた。
来たとはいっても電話が会社に来ただけだが、
俺は今そこの会社の寮に入っているので、来ようと思えば
すぐにでも来るだろう。
呼び出しが有ったので行ってみると
「○○さん(俺)居ますか?って電話が有ったよ」と所長は言い
電話番号とその人の苗字を書いたメモを俺に手渡した。
所長は「サラ金にでも借りてるの?」と言い、
「なんかそんな感じだったよ。まだ帰ってきていないと言っておいた」と続けた。
電話で「○○さん居ますか?」ときた
俺は明日辞めさせてくれと言ったが「今週一杯居ろ、出張に行ったということに
しておくから」と言われた。
だが、「まだ帰ってきていない」と言っているのに、急に「出張に行った」などというのは
嘘が見え見えである。

103 ::2006/01/26(木) 20:11:40
俺は忘れてしまっているが、サラ金と契約するとき、車のナンバーをも
記入するようになっていただろうか?
もし、そうだとすると、会社の駐車場い停めてある俺の車を見れば、その車に俺が
乗り込むのを見張るかもしれない。仕事から帰ってくるであろう、4時から8時までを
事務所及び寮を見張るかもしれない。
それは考え過ぎであるかもしれないが、その可能性はないとはいえないので
思いにとどめておかざるをえない。
まあ、臆病ではある。
だが、これは俺の初めてのケースなので過敏にならざるを得ない。

104 ::2006/01/26(木) 20:17:20
正月早々、歯が痛みだした。
それが今回の件に連なるものとしてある。
というのは、俺は俺の今いる市町村に住所を変更して
国民保険を作らざるを得なかったからだ。
この個人情報がどう流れているのかは知らないが、
それによってここがバレたとしか思えない。
(というか俺の考えというより所長が真っ先にそう言っていた)

105 ::2006/01/26(木) 20:21:25
やばい、やばい。
今度は最近は治まっていた十二指腸の痛みが生じそうだ。。。

106 ::2006/01/26(木) 20:25:14
さて、俺の御伽噺は今どうなっているのか?
今ざっと書いてみるのも整理になっていいかもしれない。

107 ::2006/01/26(木) 20:37:35
美というものイデアとして存在していた。
その美のイデアがこの世界に生成するということはどういうことか?
それは只事ではない。
たとえば、「あのダイヤモンドは美しい」という場合、
その「美」がイデアとして存在するとする場合「ダイヤモンドの美のイデア」を
考えれば済むのが普通だと思える。
俺の場合は違う。これはもっと込み入っている。
全ての美のイデアは芸能人、アーティストとは切り離されず、それによってのみある。
芸能人、アーティスト自体が「美のイデアの人間化」であるのであり、
人々の「美しい」という気分自体がその芸能人、アーティストの「元」によって
構成されているのである。

108 ::2006/01/26(木) 20:43:50
それは「体力のイデア」にも言える。
それは「有名スポーツ選手」として人間化した。
全て人々の「体力」自体がその「有名スポーツ選手」の「元」によって
構成されているのである。

109 ::2006/01/26(木) 20:48:01
>>64を拡張するとどうなるか?
漢字、平仮名、片仮名もアルファベットも「生き物」のようなものとして存在している。
もしくは存在していた。それは人間と同時に存在すると同時に人間と離れて存在する。

110 ::2006/01/26(木) 20:50:33
これを自然に持つことが「1/fゆらぎ」なのである。


111 ::2006/01/26(木) 20:53:20
この漢字、平仮名、片仮名とは何なのか?
それは唯名論でありモナドでありシェリング的問題領域であるのではないのか?

112 ::2006/01/26(木) 21:00:23
>>81はどうなのか?

へブライ人とは一つの民族の全体である。
日本のマルクス主義運動とは民族の一部でしかない。
それはへブライ人とその外部とで全体とした場合の
へブライ人という部分とのアナロギアなのである。

113 ::2006/01/26(木) 21:02:02
そして、これは「私」という意識とのアナロギアでもある。

114 ::2006/01/26(木) 21:10:56
俺は本来ならぜんぜん関係ものを結びつける。
しかし、俺としてはこれは全く無闇なものとしてではない。
これは全く異なるケーブルを結んで整理するということを思い浮かべてほしい。
俺にとっては「とりあえずは」それで良いのだ。

115 : ◆AbxoSFuX4g :2006/01/26(木) 23:41:37
etsyd

116 : ◆8BdNdmJRsk :2006/01/28(土) 11:10:01
tesyder?

117 ::2006/01/31(火) 10:59:10
今からここを片付けて出てゆく。
ネットもいつ出来るか分らないのでage

118 : ◆Zd4pdckQdQ :2006/02/02(木) 22:31:30
testyder

119 : ◆yrg8gvDApo :2006/02/04(土) 14:27:13
estrdy

120 ::2006/02/04(土) 23:00:01
ネカフェからカキコンドーム

121 ::2006/02/04(土) 23:03:39
まだまだまだまだ炸裂具合が足りない

つか、書こうとは思うが凄ーー疲れた。。。眠ーー。。。

122 ::2006/02/04(土) 23:09:17
きっと、善の量と悪の量というのは拮抗しているのだ。
善だけが在るわけにはゆかず、悪がそれ相応に多く存在するということ
これは宇宙の威力にとって、光の噴出力にとって必要なことなのだ。
今は分からないが、おそらくこれは寸分違わず完全である。

123 ::2006/02/04(土) 23:13:05
不幸な人間はどうすればいいのだ?
残酷な扱いを受ける人間は?
誰もが幸福になるべきではないのか?
それこそが宇宙のあるべき姿ではないのか?

124 ::2006/02/04(土) 23:18:44
わからん。
確かにそう思えるのだが、何か直感的にそう思えてしまう。
そう思うのが何故なのかが自分でもわからん。

125 ::2006/02/04(土) 23:37:15
たとえば、ここに通り魔が来て目の前の子供に襲い掛かってきたとする。
そこで、そこに居合わせた人間がたまたま2ちゃんねらーでこのスレを見て
俺の言ったことを間に受けて「あのスレの1は善も悪も必要とか言ってたが俺も
そう思えたから、わざわざ面倒くさいことをせずに見て見ぬふりをしよう」と決め込んだとする。
だが、その責任を俺に追及するのはどうかと思う。
俺はそういう場合に「助けなくてもいい」とは言ってはいない。
だが「助けよ」とも言ってはいない。
その人間が仮に100回中100回とも助ける人であるとして、結構なことである。
この俺はどうかは知らないが、そういう場合俺は恐らく助けるのではないだろうか?
善が半分、悪が半分ということで、自分の善の行為を半分に悪の行為を半分にするという人は
単にそういう人なのだ。そこで変更したらしたで単にそういう人で、変更しないで一生進む人は
単にそういう人なのだ。それはその人の性格のままなのである。


126 ::2006/02/04(土) 23:44:34
俺の頭の中でAV女優とAV男優がSMしているイメージしたとする。
これは俺の脳細胞だけの問題なので、そのようなAV女優やAV男優は実際には
存在するはずがない。この人間が苦しむイメージを俺が抱いたとして、実際には
そういう苦しんでいる人間はいない。
だが、これが実際にこの現実の世界に出現したとしたら、どうなのか?
それもその苦しみのままに。

127 ::2006/02/04(土) 23:50:38
全ての人間が神の思い描いたイメージが現実化したものだったのだとしたら
どうなる?

その神は単にイメージし、妄想しただけだが、それが現実化したのだとしたら。
だが、そのイメージや妄想を神が本当にしたかどうかは別として、そのイメージや
妄想の方こそが一つ一つの意識を持ち神がそうさせたのではなく自主的に動いていた
ということもあり得るのではないか?それをその神は自分でイメージ、妄想しているのだと
自分では思い、つまりそう錯覚して。

128 ::2006/02/04(土) 23:56:19
その場合、自分が(戯れに)思い描いたことが各々現実化してしまったということになるのではないだろうか?

そんなことはない。俺だったらもっとマシなことを思い描くさ。と言うかもしれない。
だが、それは今だからこそ言えるのではないだろうか?
その思い描くというのは、神がやったのかもしれず、又は神がやっていないのかもしれない。
神がやっていないのだとしたら、それぞれがやったのだろう。ということになるだろう。
だが、神もやっていず、それぞれもやっていずに「勝手に動いていた」ということは
有り得ないんだろうか?

129 ::2006/02/04(土) 23:59:50
苦しむ人間も幸福な人間も彼の、彼女の「本質」が勝手にそう動いていたということは
有り得ないか?

130 ::2006/02/05(日) 00:58:29
話題はがらっと変わる。
(つか、俺は最初、上のこと書こうとは思っていなかった。書いているうちに
もっと深くもっと深く。。となり予想していなかったことを書いた。そしたら
何を書こうとしてたか忘れたw)

俺は今日図書館に行ってきた。
シェリングは以前から入門書程度のものを読んではいたがもう少し詳しい解説書ってことで
その手の本を何冊か借りてきた。

131 ::2006/02/05(日) 01:07:25
この日本の問題。

柄谷行人は『日本近代文学の起源』でもともと日本人の意識には
西洋的な「風景」や「内面」というものが存在しなかったというようなことを
書いている。それは西洋の日本への流入(遠近法画法など)や言文一致などにより
出現したと。(後に世界中で翻訳が出たがアジアの色々な国の人も同様なことが起きたと言われたという)
ある意味、これがシェリングの言う第一のポテンツ、第二のポテンツ、第三のポテンツに
関わるものではないのか?

132 ::2006/02/05(日) 01:12:40
マルクス主義というのは、ある意味観念論ではないのか?
共産主義という「理想」を抱き、それを机上の空論としてではなく
実際に運動を起こす、つまり実践するというのは「唯物論」であるうえでの
実践ということになるだろうか?この「理想」自体は唯物論ではありえず
なんら「科学的根拠」では有り得ない。それは科学者の行為とは違う。
それは一つの信仰だ。


133 ::2006/02/05(日) 01:16:22
神が存在するとしたら、神を無視することは共産主義設立にとって良いはずはない。
シェリングはヘーゲルやカントを「消極哲学」として批判したが、このマルクスも
やはり、同様に消極哲学でしかなく「積極哲学」ではないのである。
マルクスに欠けていたのはシェリング的な積極哲学なのだ。

134 ::2006/02/05(日) 01:26:49
ポテンツを回復すること。これが欠けているのである。
彼らは社会を良くしようとする分自分の幸福に対し感覚が弱くなったのではないのか?
まず、社会を幸福にするためには自分自身が幸福にならねばならない。
そのことに彼らは気づかなかったのではないのか?
それは、「まず、自分がお金を得る」というのではなく「まず、自分が楽しくなる」
周りを楽しくできないのに、まず「共産主義」というのに、まず疑問を感じねば
ならない。それだったら、「共産主義など無くてもいい」そう考えていいのではないのか?
まず、この「欠陥」が問題なのだ。「その欠陥など考えても無駄」というのは
問題の摩り替えである。その欠陥が治らないならその欠陥が治らない自分を嘆いて死ねばいいのだ。


135 ::2006/02/05(日) 01:29:49
共産主義よりも先にやるべきことはいくつかあるに違いない。
俺的には無理でも「多言語主義」を広めようとすること。
あと、メンヘル友愛会を全国に作ることなど。


136 ::2006/02/05(日) 01:35:05
マルクス主義は観念論だと言った。
だが、人間自体が巨大者の観念ならば、必然的に人間という観念の運動なのである。
ただ「平等を成り立たせるという概念に達し、自覚した観念の運動」ということになるが。

137 ::2006/02/05(日) 01:37:11
そして、これも単なる雛形に過ぎない。
それは何の雛形か?
それは人間の意識に関わる。
それはポテンツ論に関わるのか?

138 ::2006/02/05(日) 01:40:27
ポテンツ論の最初の雛形は家族という運命共同体ではないだろうか?
意識はそこから離れることを真っ先に考えるということはない。
また、そういう「離れる」という概念も本能も発生しない。

139 ::2006/02/05(日) 01:50:32
ユングは『ヨブへの答え』でヤーヴェの中に暗さがあり、それがサタンであり、
ヤーヴェ自体がそれに気づけずにサタンと自分は別物だと考えている。というようなことを
書いている。
これはユングが意識したかしてないかは知らないがベーメ-シェリングの思想に近い。

140 ::2006/02/06(月) 19:48:49
さて、今日もネカフェからアホ晒すか〜〜

141 ::2006/02/06(月) 20:01:21
神との一体化について


中世の神学では「神との一体化」を論じた哲学者が何人かいる。(恐らく多数いる。)
近代、および現代の神学でもそうなんだろうか?
イエスが神の御言葉だというのは、ヨハネ伝に起源を持つ。
それを哲学的に大いに問題としたのは、たしか、シャルトル学派かサン・ヴィクトール学派で
それを、ボナヴェントゥラやエックハルトやクザーヌスが受け継いだと思ったが違っているかもしれない。
(『中世思想原典集成』の中には他にもいっぱい採り上げているはずだ。)

近代および現代の思想からみてこれらの思想はどう評価されるのか?


142 ::2006/02/06(月) 20:09:51
ここ何日か読んだ山口和子の『後期シェリングと神話』では、
神との一体化は書いてあっただろうか?
この本ではポテンツ論とそれに絡めて「根源的ポエジー」なる概念が書かれていた。
これは神話を記述した太古の人間の精神状態のようなものである。
それはまだ、詩と哲学とに独立せずにあった状態、あるいは事実とされる。

この「根源的ポエジー」とは中世で語られていた「御言葉=イエス」というものと
同じであるとしてみたら、どうなるか?

143 : ◆uIezsKUNK. :2006/02/06(月) 20:15:51
tesyd

144 ::2006/02/06(月) 20:24:04
俺はそもそも、哲学に詳しいわけではないが、シェリングは中でも詳しくない方だ。
シェリングはそのデビューから死ぬまでに何度も自分の思想に変化をもたらした人で
一つに括るのが難しいのである。
美学にしてみても、そうだ。
俺がこの「神との一体化」をシェリングの問題を通じて論じてみたいと思ったのは、
この美学に対しての関心が少なからずあり、それが何か関わっていそうな感じがしたからである。

145 ::2006/02/06(月) 20:33:02
フィヒテが「自我」に偏った哲学を形成したのに対してシェリングは、それを継承しつつも
新たに「自然」の観点を持ち込んだ。人間とは「主観的な主観-客観」であるが、
自然とは「客観的な主観-客観」であるとして、自然も一つの主観-客観であるとした。
自然とは神の詩であり芸術とはその自然が姿を変えたものとした。
(間違っているかもしれない)

146 ::2006/02/06(月) 20:39:34
だが、後期のシェリングは前期ほど芸術を評価しないようになった。
それは神話や宗教の方によりのめりこんだために比較的そういうように見えるというのもあるが、
「根源的ポエジー」の概念に至って、近代に於ける詩の弱さへの幻滅により、
芸術には限界があるというように語った。
(これも間違っているかもしれない)


147 ::2006/02/06(月) 20:51:04
シェリングはカントから大いに影響を受けたが、
俺としては純理や実理からよりも『判断力批判』からの影響が気になる。
芸術を論じるとき『判断力批判』をそのまま踏襲して書いたわけでもあるまい。
そこでは、シェリングなりの『判断力批判』の発展形があったはずだ。
俺はなぜか「シェリングとは『判断力批判』のニューヴァージョンなのだ」と
あるとき読みもせずに勝手にそう思えてきた。それからシェリングを読んでみようという
気になったのである。だから、自分で何故そう思えたのか、そのことも含めて
問題として考えざるを得なくなった。

148 ::2006/02/06(月) 20:57:25
一つ思いついた結論をいうと、
「神との一体化とは人間と自然との一体化でもある」ということ。
キリストとは神の人間化でもあるだけでなく、神の人間の形をした上での自然の充満体
として生まれ出たのだということ。

149 ::2006/02/06(月) 21:10:04
「神との一体化」が生じるためには心が騒がしい状態ではたぶん生じない。
心が穏やかな状態において初めて「神との一体化」が起きる可能性が生じるのだ。
そのためには、古代、および中世においては静養のもとでの観照や祈りによる
精神の整え方もあったが、芸術による精神の整え方もあったであろう。
だが、芸術によって精神が整えられるとはいっても、その種類によっては、逆に
精神を乱すようなものもあるであろう。だから芸術は観照や祈りや座禅などと共通する
とは完全には言い切れないのではないか?

150 : ◆tFVdoNUMcc :2006/02/07(火) 13:31:43
tesyd

151 : ◆UzTVwNyQAE :2006/02/08(水) 13:40:31
tesyd

152 ::2006/02/08(水) 21:38:57

今日のこの気持ちはどうか?

たとえば、タバコを吸うということ。
俺は以前は吸ってはいたが今は吸ってはいない。
それは、それほど好きではなかったということと、
体質的に合わなくなっていったこと。(体が重く、頭が痛く、など)
だが、この体質は俺の精神と連動しているんではないだろうか?
俺はタバコに対して何か、恐怖を抱いているのではないだろうか?



153 ::2006/02/08(水) 21:49:21
タバコが好きな人もタバコが嫌いな人も恐らく、俺のような精神とは違う。
単にタバコが嫌いな人というのは、タバコが身体に悪いということ、その意識によるだろう。
だが、俺の場合、それも確かにあるのだが、何か「自分が死ぬこと」を自己決定しているような気
がするのである。恐らく精神異常だろう。人は誰もが死ぬ。だが、俺はもしかしたら
「俺は死なないのではないか?」という気がするのだ。
だが、「自分が、自分に対して毒を盛れば、俺は死ぬだろう」という気もする。
それは「思い」というものがリアルであればある程、それは現実化し、それを回避しようにも
回避することがすさまじく困難になるのではないかという感じがしてしまう。


154 ::2006/02/08(水) 21:55:47
恐らくはおかしい。
俺が子供の頃はそういう人間ではなかっただろう。
俺は子供の頃、ほら吹きではないにせよそれ程抵抗なく嘘をいい、
しょっちゅうやったわけでもないが物を盗んだこともあった。
一般の人がこれを聞くと、「いい人間ではないか」と言うかもしれない。
しかし、俺にとっては違うのだ。
勿論「嘘を言え」、「物を盗め」と言っているわけではない。

155 ::2006/02/08(水) 22:04:15
×一般の人がこれを聞くと、「いい人間ではないか」と言うかもしれない。
○一般の人がこれを聞くと、今の方が「いい人間ではないか」と言うかもしれない。

俺が嘘を言ったことや物を盗んだのは、嘘を言ってでも守らねばならない何かが
あったからであり、物を盗んででも守らねばならない何かが有ったからだ。

では、その何かとは何か?

156 ::2006/02/08(水) 22:16:48
俺にとって、その「何か」を失うことは人生にとって、もはや絶望するしかないもの
だったかもしれない。
それは、それ以降、死んだように絶望しながら余命を尽くすようなものだ。
子供の頃は、「神」も「奇跡」も「神との一体化」という概念も考えてはいない。
その「何か」とはそういうものではない。
「この世界」、「この現実」というものに「祈り」のようなもので都合の良い出来事が生じ得るなど
ということなどは考えてはいなかった。
その「祈り」による「奇跡的なもの」などは物事を計算したり積み上げるものに比べれば
ドブに物を捨てるものでしかなかった。その奇跡を成立させることの意識は自力で計算し
物を積み重ねることの意識に取って代わるもの人あり得る。
それは、その奇跡の方の意識ばかりとなり、計算も積み上げも無意味に思えてくることにもなってゆく。

157 ::2006/02/08(水) 22:29:31
ある意味、あの場所のあの食べ物のあの値段とか、あの土地のあの温泉でのあの効用など
そういうものはどうでも良くなってしまった。
普遍的なものしか関心にないというのは人によっては聞こえはいいかもしれないが、
それは一つの怠慢ではないのか?
その個別的なことを覚えるということ、それこそ、人間にとって必要なことではないのか?
世界の究極的な真理などまだ分っていない。だが、普遍的なことだけに関心が偏ってしまう場合、
「分っている」、「悟っている」かのような感じになってゆくのではないだろうか?

158 : ◆gRLOAvlkEI :2006/02/09(木) 13:33:40
etsyd

159 ::2006/02/10(金) 20:00:45
俺は今ある会社にいる。
2/7に入った。
完全歩合制の会社なので、上手く行かないと一銭にもならない。
そして、今ものの見事に上手くいっていない。
土日は有利ならしいから明日、明後日が勝負だ。
それが良くても悪くてもここを辞めようと思う。
そして土木建築に行こうと思うのだが、今土木建築は
年度末で仕事がなくなる直前まで来ているので、募集はわずかに
なってくるだろう。俺は車を持っているが、車を駐車してもいいという
会社も全てではないので、より困難になるだろう。
わざわざもうすぐ暇になる業界で働かねばならないのは何故かというと
それだけ金がないから即決且日払いが必要であるからだ。
そのあと、工場に行くという方法を取らざるを得ない。(さっきも言ったとおり、土木建築が
暇になるのは目前に迫っているから。暇になったら当然工場などに行かざるを得ない)

160 ::2006/02/10(金) 20:17:56
今日俺は色々なことを考えた。それを全て書けるだろうか?もう忘れているかもしれない。
いつも、俺は考えたことの少ししか書かない。
書くだけの欲求が沸かない場合もあるが、忘れて書けない場合もある。
だが、そのときは無理してでも思い出そうとは思わない。
その忘れるということ、書くことに何か乗り気がしないということ、それには
それだけの原因があり、何かが欠けているのだ。
自分が「完璧である」と思えるときでも、それを書く欲求が沸かないのは、
「それとは全く反対のことをも露見できるべき」という気持ちが無意識において
働いている場合が大いにある。
それは、まだ自分が言語化出来ていない何かであり、それを言語化するということは
全く、今までの自分が手にしたことがない新概念を手にしたことになる。
それは、それだけ自分を拡張したことになる。
「その拡張をまずせよ、そのあとにその古くなったそれを書け」というのが無意識による要望
なのである。
これは、それだけ欲張りに概念を多く手にしたいというわけでもあろうが、
場合によっては、その新たに手にすべき新概念を抜きに、今ある概念を書くことは
その新概念を手にするのに弊害として、一つの抑圧として働くということなのかもしれない。
その新概念という遠回りこそが近道であるということ。
「急がば回れ」ということだ。


161 ::2006/02/10(金) 20:27:29
まず、俺はアナムネーシスについて考えていた。
アナムネーシスとは「想起」という意味である。
アナムネーシスとはプラトンの概念で人が何か真理を認識しているときというのは、
イデア界のものを思い出しているのであって、誰か人から教わって出来ることではなく、
誰かが出来るのは手助けだけで結局はアナムネーシスする自分に掛っている。

162 ::2006/02/10(金) 20:35:52
俺は思った。
道をすっと覚えれる人というのは、それだけ道を覚えることに関しては頭がいいとまずはいえる。
他のことに関しても物覚えがいいのは、どのことに関しても頭がいいといえるのかもしれない。
その「覚える」、「記憶する」ということはその「覚える」、「記憶する」ということを
「得意とする」ということだ。そして、その「得意とする」ということは、「そのことが好き」でもある、
あるいは「そのことが好きであるから」なのだ。
恐らく、あることに関して「物覚えがいい」のは、その「あること」を「アナムネーシスしているから」
なのではないか?と俺は思った。(こんなことは俺のオリジナルでも何でもないだろうが)

163 ::2006/02/10(金) 20:43:48
アナムネーシスとはイデアに関わることであり、イデアは真理に関わることである。
そして、真理とは「最も効率の良いやり方」、「最も理に適った方法」、「最短、最速方法」、「最善手」
であろう。
アナムネーシスしているということは、最小の労力で最大の力を発揮させていることである。
仮にこれが全力の10%だとしたら、そうでない場合が例えば全力の40%だとしたら、
前者は残り90%あるのに対して後者は残り60%しかない。



164 ::2006/02/10(金) 20:50:45
恐らく脳の回路にしても、これらは違う。
前者は脳のそれに関わる回路が無駄なく最小であるのに対して、
後者はその回路は無駄が有り、無駄な試行錯誤をする枝が多い。

165 ::2006/02/10(金) 20:58:06
この回路が一度形成されてしまうと、それに隣接する脳の各部位も、それに影響
されざるを得ない。何故なら、それに合おうとするから。その一つのものと共通する形状を
反復することは、「単にコピーする」という単純明快さという理に適うからだ。
前者の無駄のない回路に隣接する部位も又無駄のない回路になり易く。
後者の無駄のある回路に隣接する回路も又無駄のある回路になり易い。

166 ::2006/02/10(金) 21:02:01
これは、どういうことを意味するのか?
それは「道を覚える達人」がそのノウハウを例えば「料理」を覚えることに
向ければ「料理を覚えること」にも才能を発揮するということだ。
ただし、その「料理に関する回路」が「異常状態」になければだが。

167 ::2006/02/10(金) 21:08:25
ミュージシャンは音楽をアナムネーシスし、スポーツ選手はスポーツをアナムネーシスする。
では何故ミュージシャンにしてスポーツ選手が大勢いないのは何故か?
それは、実際にはそこまでやる暇がないからではないだろうか?

168 ::2006/02/10(金) 21:14:42
話は変わる。
>>145
自我と自然とはいうが、ここには身体も当然入っているはずだ。
身体の欲望を自我が無視し、身体を自我の奴隷のようにしているならば
それは問題である。

169 ::2006/02/10(金) 21:23:01
>>160
書き忘れたこと。
まだ書かないことの利点は、それと対立するまだ言語化できていないことを
言語化することによって拡張できることであると言ったが、
それ以外に、そのまだ言語化出来ていないことを言語化しようとする際に、
多くの邪魔もしくは妨害とでも呼べるものが入ることがある。それが如何なる種類のもの、
如何なるものであるのかを、確かめることが出来るということ。


170 ::2006/02/10(金) 21:29:23
>>64>>109>>131
これらは>>142の根源的ポエジー及び神の御言葉=イエスと
関わらせて考えられるのではないだろうか?

171 ::2006/02/10(金) 21:36:44
新約聖書の「右手が罪を犯しそうになったらその右手を火に投げ込め、全身が罪を犯すよりマシである」
みたいなところや、「いつも喜んでいなさい」みたいなところや「暗い顔をするな」みたいなところや、
「目を明るくせよ」みたいなところを俺に都合のいい様に考えようと思う。

172 ::2006/02/10(金) 21:53:04
人間の自由とはシェリングは「善を行うことも悪を行うことも選択できること」であるいった(と思う)
たしか、アンセルムスは自由とは「自由とは解放されることである。悪は解放されない。だから悪の選択の権利=自由というのはおかしい」
といった(んじゃなかったか?)
>>171も自由に関わる。
>>171に付け加える。
「明日のことを悩むな。明日のことは明日に任せればいい」
「神を信頼せよ。野の花でさえ神は装ってくださる。野の花よりも
あなたたちの方が遥かに優れているのだから、あなたたちを面倒しないことがあろうか」
(てきとうに書いた)
顔を暗くすることは自由ではない。
単に顔を明るくすることだけで自由ではないことは確かだ。
だが、苦境にあっても神を信頼し暗い顔をしなければ、
それなりの成果が与えられるのではないか?

173 ::2006/02/10(金) 22:07:48
それでも、顔が暗くなる程のものならば、その境遇を脱出する自由は誰にでもある。
例えば、仕事でなかなか上手くいかないとしても、暗い顔せず、楽しくいたとしよう。
その楽しさを攻撃してきたとして、その暗くない顔を暗くされるよりは、暗くない顔を
そしてその暗くない気分を保ったまま、その仕事場を辞めるのは自由だ。
そこで裁判沙汰になるにしても何ら問題ではない。裁判は何ら禁止されるべきではない。
法律によって権利が守られていること、それを利用すべきである。
そして、それは何ら憤らず、暗い顔をせず、冷静に済ませていればいいのだ。
又、仕事途中に仕事を放棄することは常識的にはおかしいが、そんなことはあってもいい
と構えていることは別にいい。憤らずに冷静に辞めたいときに辞めていい。そういう権利
があると思うべきである。(人の命など重要なことに関わる場合は別)

174 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/02/10(金) 22:19:47
仮にその暗くない顔を暗くさせるような差別的行為を受け、
それでも、君が顔を暗くせずに保っていることにその人が腹を立て、
ナイフで刺し殺すにしても、そのまま保っていたいものだ。
謝る必要がある場合は謝るべきかもしれないが、暗い表情はここでは
それほど関係がない。
もう少しでホームレスにならざるをえない程、仕事の危機にあるときでも。

175 ::2006/02/10(金) 22:23:35
>>174は俺

暗い顔は作業効率を下げる。
それは最短最速の発見、身のこなしにとって余分な肉である。
最善を尽くしたければ、暗い顔をすべきではない。

176 ::2006/02/11(土) 21:32:57
今日初めて、儲かった。とはいっても6千円だが。
それでもこれまに比べれば大収穫だ。

にも拘らず、気分が悪い。
ある視野が開き掛っているのだが、とてもではないが、
今日、全部を書けそうにない腹立たしさ。


177 ::2006/02/11(土) 21:37:55
今俺は営業をやっているのだが、たまたま新聞を見てTELして
社長の言葉に流されるままにここに来たのだが、
たとえ長続きしないにしても、今の俺にはこの営業は必要であったと思う。
これによって俺が気付かされたことは多い。(それについては後に書けるならば書く)

178 ::2006/02/11(土) 21:47:39
俺は何でもかんでも関係ないものを結び付ける。
それが間違っていようがいまいが関係ない。
最初から「間違っていそうもないもの」をも「取り敢えず、どこかは間違っている」とする
気持ちでいるからだ。俺にとって間違っていないものなど無い。
そして、「間違い」こそ俺に教えてくれる。
多少の間違いは却ってわかりづらい。
だから極端な間違いの方がわかり易さの観点からいえば良いのだ。
その間違いは必ず自分に訴え掛けてくる。
「矛盾している」ということを何らかの形を通して。
「気持ちが滅入る」というのも一つの信号である。


179 ::2006/02/11(土) 22:01:31
取り敢えず、俺が今現在納得できると思える「思想の繋ぎ方」を実際にしてみたあと、
「それは間違いである」という訴え掛けが必ず起きてくるので、(間違って、結ばれた諸思想が
本来の場所へ戻ろうとするので、)その動向を追い掛けてゆけば、少しはその
本来の場へ自己を誘導することが可能ではないかと思える。
(そういう風に「自分が間違っていることの自覚がある上で戦略を持つという自覚」を前以て持っていないと
単なる妄想で自己満足するのが関の山である。)

180 ::2006/02/11(土) 22:08:10
俺は最近シェリングを問題としている。
だが、このシェリングとハイデガーとヴィトゲンシュタイン
そして、ミシェル・アンリ、マリオンなどを交えて妄想しなければならないと以前から思っていた。
ミシェル・アンリやマリオンなどについてははっきりいってほとんど知らないといっていいのだが、
取り敢えず、気になるからだ。(ただ、それだけの動悸w)

181 ::2006/02/11(土) 22:21:26
ある一つのローカルが形成される。
一つの特殊である。
普通はこの特殊を作らずに諸思想を学んでゆく。
だが俺の場合、この諸思想をわざと自分の都合に歪めて把握する。
この特殊を兎に角作り出さないことが嘘くさいのである。
「何故このような特殊が作り出されたのか?」という問いも俺にとっては
必要なものの様に思えるからだ。
そのまま把握した諸思想とユニークに把握した諸思想の双方を
手にしていなければ、何か片手落ちな気がするのである。

182 : ◆QQ78UhpMJ2 :2006/02/13(月) 11:39:21
tesyd

183 : ◆5uADEDA1Ic :2006/02/14(火) 15:44:16
tseyd

184 : ◆p0WK.8Q50k :2006/02/15(水) 12:30:24
tesyd

185 : ◆Ze.ywrP50k :2006/02/16(木) 16:38:26
tesdy

186 : ◆8zMTuBfBpQ :2006/02/17(金) 13:33:01
tesdyer

187 : ◆RBdid005MI :2006/02/18(土) 16:57:38
tesyd

188 : ◆2.Tp5VDQcw :2006/02/20(月) 12:14:39
tesyd

189 : ◆AO2WToOJQg :2006/02/21(火) 14:51:39
tesyder

190 : ◆r33/lTeSCA :2006/02/22(水) 11:39:36
tesyder

191 : ◆0pj6dfBDE6 :2006/02/23(木) 17:28:13
tesdy

192 : ◆QpOoQHhXDY :2006/02/24(金) 12:59:05
etsyd

193 : ◆.N4BJ6a3c. :2006/02/25(土) 14:27:50
tesyd

194 ::2006/02/26(日) 19:49:11
上の人保守乙!感謝しやす。

195 ::2006/02/26(日) 19:52:04
ついこの前、料金滞納で携帯が使えなくなった。
インターネットももうすぐ使えなくなると思う。
ひょっとすれば、今日までかも。。。

金銭的に最悪な状況だが何とか生き延びている。

196 ::2006/02/26(日) 19:53:47
これまでに考えていたことの全ては書けないが、
今すっと書けそうなものだけを書くとしよう。

197 ::2006/02/26(日) 20:02:56
第二次世界大戦は現代人が作り出した。

この現代の日本に生まれてきた、或は生まれてくる我々が、
戦争を回避するために、そして、戦争に対する好奇心のために、
その文学や、映画や、プラモデルなどの作成のために、作り出した。
「第三次世界大戦をすれば人類は滅亡する」というくらいの科学技術の
悲劇的活用が要求され、それによって、軽はずみに戦争などして良いはずがないもの
とした。そして、徴兵制そのものの廃止。これによって、戦争とは無縁の
状態を作り出したのである。

198 ::2006/02/26(日) 20:07:08
聖なるもの、愛、幸福、感謝。

これらのものを物質化させたもの、或は、物質によって
表現させようとして出現したもの。それが「家族」であった。
そして、それは「見えるようにするもの」、「陽の目を受けるに値するもの」の
現出化なのである。

199 ::2006/02/26(日) 20:13:23
言い忘れたが、これは「良いもの」、「善」の現出化でもあるのだ。
「家族」とは本来「良いもの」の表現或は類似或は雛形として在るものである
はずだった。それは、時間の外の問題、時間の始まる以前のものである。
このとき、人間の自由意志、即ち、善を選択しても悪を選択しても良いという自由の元、
悪を選択した結果、この「良いもの」は「必ずしも良いものではないもの」となった。
それは、「家族」の中に「悪」を持ち込むことである。

200 ::2006/02/26(日) 20:20:13
この「悪」は「幼児虐待」として出現する。
これは、その幼児への虐待は家族外にはまず気付かれづらく、
つまり、法律により罰されることに関して最も隠蔽し易いものなのだ。
この計算の元での意図的な悪の行為、これは悪の最たるものである。

201 ::2006/02/26(日) 20:23:31
次に問題になるのは幼児、もしくは少年、少女間の悪の問題である。
「少年、少女の多少の悪は許されるべきだ」という少年法という寛容さを
逆手に取り、罰されないという計算の元に意識的に害を加える行為。

202 ::2006/02/26(日) 20:30:04
三つ目は、そういう少年法に守られなくなった成人化してからの悪である。

「子供というものはまだ、大人になる以前の無知に満ちたもので、この間にあった、
ちょっとした悲しいことや苦しいことは大人になったら忘れるかこだわらないようになるものだ。
或は、忘れるかこだわらなくなるべきだ。そして、実際全ての大人がそうであろう。
だから、過失であろうと意識的であろうと、その子供に害を加えた場合、
その子供は過失であるものと見なし、許し、忘れて、水に流すべきだ。
あるいは流している筈だ。」
という考えの下に意識的に害を加えるという行為。
これは実に悪質である。

203 ::2006/02/26(日) 20:33:12
この時間の始まる以前の人間の悪の選択の中枢は実にその多くが
現代人であった。この現代の日本に於いてその原初的なものが先に有ったのであり、
「歴史」はその後に作られたのだ。

204 ::2006/02/26(日) 20:39:58
「聖書」はその許し難い問題を記述するものとして現れた。
「聖書」の初めが宇宙の創造やアダムの罪を経過したあと、
「家族」がまず問題となり、次が子供達の悪の問題その後が
それに対するヨゼフの勝利、その後が民族の問題、その後国歌の問題へと
移っていったのはこのためである。
その重要なものが先に位置付けられているのだ。


205 ::2006/02/26(日) 20:43:21
原初に於いてはまだ、へブライ人もマルクス主義も準備されていなかった可能性がある。
その「悪」が、つまりこの「現代人の悪」が自動的にへブライ人やマルクス主義を算出したのだ。

206 ::2006/02/26(日) 20:49:38
「聖書」が約3千年前に与えられ、約3千年掛けて現代に至って、
この我々がそれに対して思いを馳せたりもするわけだが、
それはちょうど、種子が与えられ、芽を出し、茎が伸びて枝も葉も
広がり、この現代に於いて花を開いたかのようになっている。
花が種子を地上に落とすように、この現代こそがその種子を胚胎する。
だけでなく、全ての起源がこの現代にあるのである。


207 ::2006/02/26(日) 20:54:49
「良いもの」の物質的表現として「家族」が出現したのだとすれば、
人間一人一人の精神に於ける最も輝かしもの、最も安定したものも、
それと同じものなのであり、それは、言うなれば「家族的」として表現が
許される筈である。


208 : ◆1XGvh/OSVY :2006/02/26(日) 21:15:08
「悪の選択の自由」と言ったが、これは又「「末人」(おしまいの人)(ニーチェ)の選択の自由」でもあるし、
「「世人」(ハイデガー)の選択の自由」でもあるのだ。

209 ::2006/02/26(日) 21:16:04
↑は俺

210 : ◆63fvLg/nB2 :2006/02/27(月) 13:46:10
tesyd

211 : ◆f4oGLlseCI :2006/03/02(木) 15:49:51
tesyd

212 : ◆/XHy.gkn9k :2006/03/03(金) 13:48:30
etsyd

213 : ◆XqU56w..KY :2006/03/06(月) 17:54:55
etsyd

214 : ◆TBAcLszVKE :2006/03/07(火) 12:11:42
etsyd

215 : ◆hG5ZpHLbFA :2006/03/08(水) 14:05:28
tesyd

216 : ◆wG2HiUqVw6 :2006/03/09(木) 14:02:30
tesyd

217 : ◆g.rumY5C1o :2006/03/10(金) 18:15:38
tesyd

218 : ◆dno6KJ4V02 :2006/03/12(日) 14:39:04
tesyder

219 : ◆4YP7rFna6Y :2006/03/14(火) 16:58:31
tesyd

220 : ◆nuS82L33Vo :2006/03/15(水) 13:19:56
etysyd

221 : ◆ulybMv4a0Y :2006/03/16(木) 16:56:46
tesyd

222 : ◆VsEa3qdqh. :2006/03/16(木) 17:09:36
222

223 : ◆03K/nziIHo :2006/03/17(金) 11:52:10
tessyd

224 : ◆.Ka9QXdVeY :2006/03/18(土) 19:38:43
a tessydsd

225 : ◆ad0dAfvo5Y :2006/03/22(水) 15:06:21
tessyd

226 : ◆TgSGxtc/qs :2006/03/23(木) 16:26:05
tessdyer

227 : ◆FCnJt4W9X2 :2006/03/24(金) 14:43:44
tessyd

228 : ◆Pvu9bQDT.E :2006/03/25(土) 17:49:06
tessdyerz

229 : ◆bqPErxY6HE :2006/04/08(土) 21:29:16
etssdy

230 : ◆e63bbMx2zM :2006/04/15(土) 20:04:19
tesyd

231 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/04/17(月) 03:24:53

部屋のあちこちでからだをくねらせる三人の日本人の女を見ながら、
僕はペパミントワインを飲み、蜂蜜を塗ったクラッカーを食べる。
黒人達のペニスは長く、そのために細く見える。
最大限に勃起した時でもレイ子が曲げるとかなりしなる。

ダーハムが足を震わせて突然射精して、レイ子は顔中粘液で濡れそれを見た全員が笑う。
レイ子も笑って目をしばたたかせ、顔を拭く紙を捜しているうちに、軽々とサブローから抱き上げられる。
小さい子供に小便をさせる時みたいに太腿を開かせて抱え自分の腹に乗せる。

大きな左手でレイ子の首を、右手で両足首を重ねて持ち、体重が全部性器にかかるようにする。
レイ子は痛いと叫び、手をバタバタさせてサブローから離れようとするが届かない。
しだいに顔色が青くなっていく。

サブローは、ペニスに擦りつけるように足を折り曲げたり、開いて伸ばしたりしながら、
自分はソファにもたれてほとんど仰向けになり、レイ子の体を尻を支点にして回転させ始めた。
最初の一回点でレイ子は全身を痙攣させて恐怖を訴えた。
目をいっぱいに開き手を耳にあて、恐怖映画の主人公のような悲鳴をあげる。

サブローはアフリカ原住民が戦う時に叫ぶ声で笑って、顔を歪め胸を掻きむしるレイ子に、
もっと泣けよと日本語で言って、からだを回す速度を速める。
モコの乳房を吸っていたオスカーも、萎えたペニスに冷たいタオルをおいたダーハムも、
まだ裸になっていないジャクソンも、ケイに乗っていたボブも、みんなくるくる回るレイ子を見ている。

ボブとダーハムが、神様こりゃあすごいや、と言ってレイ子を回すのを手伝う。



232 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/04/17(月) 03:25:47

ボブが足を、ダーハムが頭を持って、尻を強くサブローの方に押しつけながら、さっきよりうんと速くレイ子を回す。
サブローは白い歯を剥き出して笑いながら両手を頭の下に組み、
からだを反らして、ペニスをさらに突き出すようにする。レイ子は火がついたように大声で泣き始める。
自分の指を噛み髪を掴んで引っ張り、涙は頬を伝う前に遠心力で宙に飛んでいく。僕達の笑いも高まる。

ケイはベーコンをひらひらさせてワインを飲み、
モコは硬い毛の生えたオスカーの巨大な尻に赤い爪を食い込ませている。
足の指が反って捩曲がりブルブル震える。

レイ子の性器は強くこすりつけられるために赤く拡がって光る粘液が溜まっている。
サブローは大きく息をついて回す速度を緩め、ルイス・ボンファのうたう黒いオルフェに合わせる。
僕はレコードのボリュームを下げ一緒にうたう。足の指をケイが舐めている、ずっと笑い放しで絨毯に腹這いになって。

レイ子はダーハムの精液が乾きかけた顔で泣き続ける。
指には血の滲んだ歯形がつき時々腹の底からライオンみたいな声を出す、
ああもう俺は出すぜ、この女どけてくれ、サブローが日本語で言い、レイ子を横に突きとばす。
どきやがれ、この豚野郎め、レイ子はサブローの足を抱きしめるように前にのめる。

真上に噴きあげ落ちてきた液体はレイ子の背中や尻で流れずに溜まる。
レイ子がビクンと腹を震わせ小便をもらして、乳首に蜂蜜を塗りたくってケイが慌てて新聞紙を尻の下に押し込む。
まあみっともない、ケイはそう言ってレイ子の尻を叩きかん高く笑う。

体をくねらせて部屋の中を歩き回り、気が向いた相手の指やペニスや舌をからだに入れて。



233 : ◆MfuQISQTt2 :2006/04/22(土) 17:54:21
tesyd

234 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/04/26(水) 08:27:37
朝からage

235 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/04/28(金) 08:37:25
またまたage

236 : ◆sBlgV.xkkE :2006/04/29(土) 20:06:14
tesdyerz

237 : ◆CSB3sRca4I :2006/05/03(水) 15:13:59
tesyder

238 : ◆gXfaaLkzRY :2006/05/04(木) 16:03:22
tesyd

239 : ◆QnBPNzAHyY :2006/05/05(金) 15:08:42
etsdyz

240 : ◆D7rsu3vOCk :2006/05/06(土) 16:19:12
tesyd

241 : ◆zB.RIO8B2M :2006/05/13(土) 20:43:53
etsydersd

242 ::2006/05/16(火) 23:03:13
ああ、何ちゅうこった・・・
禿しく自己嫌悪
また会社を辞める
進歩がねええええええ

243 ::2006/05/16(火) 23:31:21
ああ、もう何でもいいや、
何か書いてみよう。

>>29でいう「この現実的なもの。」それは>>27>>28に書いた内容のことだ。
しかし、これは実に不十分である。

俺は>>171>>175まで「暗い顔するな」という新約聖書について思うことを書いた。
だが、これは「聖書にそう書かれているから」ということに意識を集中し、
「暗い顔」をしないことばかり考えているとしたらおかしいだろう。
葬式などは暗い顔が要求される。だが、それでもこの言葉は必要な人には必要である。
それは「死に至る病」の人にとってはだ。それは理屈抜きに応急処置を必要とする。
それにはこのような命令が即効性があるのである。
それは一つのリハビリなのであり、松葉杖のようなものだ。
あとニーチェも「私は笑うことを教える」というようなことをツァラトゥストラに
書いていたと思ったが似ていることは似ている。

244 ::2006/05/16(火) 23:44:49
>>198は今日改めて考えたが、「それが「家族」であった。」の「家族」を
「「家族」かそれとも「家族内での覚起あるいは触発」」と言い換えたい。
この「覚起」、「触発」が「明るみ」なのである。

245 ::2006/05/16(火) 23:51:51
ハイデガーは「明るみ」を視覚的なものとして、つまり「見えるようになるもの」として
「非覆蔽性=非秘蔵性」をそう呼んだのかもしれないが俺はよう知らない。
だが、もしそうだとしたらそれは「光」について一面しか見ていない。
「明るみ」だけでなく「喜びの熱」もまた光である。

246 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/05/17(水) 00:14:02
「共存在」はまず「家族」から始まる。親との共存そこでの会話、
そういったものが、一人でいるときでも生き生きと残り続けている場合、
それは共存在である。それは過去把持された親の声、親のしゃべり方、振る舞い、
自分の声、自分のしゃべり、振る舞いなどが今きた原印象により覚起し合い、
その親の声や自分の声という空虚表象と友人の声やしゃべり方と自分のしゃべり方などの
原印象との間にその意味内容の同一化が生じることによって原連合を形成する。
従って、それは先験的(ア・プリオリ)なものではなく、経験的なものである。
ここに於ける「親子愛」というものは並なものではなく、恐らくA10神経を
大いに刺激する。このようなことは親元を行ったり来たりすることで、その都度、
覚起、触発を起こしている。そして、このことは言語が豊かに続けて出ることに
大いに関わる。


247 ::2006/05/17(水) 00:38:15
↑は俺


>>246>>87を続ける。
それらは全て「経験(ア・ポステリオリ)」である。
そしてここでそれをその経験を抽象化することには大いに警戒するだけの
あるいは魅力を感じないとするだけのある感覚が存在するかもしれない。
「気の合う者同士で常に覚起し合っていること、これが途切れることなく、
一生続くこと、このことは絶対間違いではなく、絶対に正しく真理であり、
これこそが理性であり、そしてその哲学は既に完了しているのだ」
という絶対的な自明性。それはその種の覚起が弱い人にはわからないかもしれない。

248 ::2006/05/19(金) 00:24:32
大抵の人間の場合、気の合う知人つまり友人と共に同じ会社に面接しに行き、同じ職場に勤めるとしてみよう。
そこでは、見知らぬ人々も当然居るが、友人が常に居るということで、必ず受け入れてくれる存在を
キープしていることになる。それは「場所」でもあり又「縄張り」でもある。
そこでは、「無から作り上げねばならない人間関係」があるわけではない。
その友人というものは物心付く頃から出会う多くの同一年代の人々の中で、気付けば
一緒に遊んでいたような幼馴染からその後々に生じた友人でもいいが、いずれも
大抵は学生時に生じるものである。
そして、それも「明るみ」である。

249 ::2006/05/19(金) 00:29:00
そこでの会話は既に以前から形成されていたイントネーションというか、ニュアンスというか
気を使わずとも自然と出てくるようになった「習慣化されたもの」として、そのまま行けば
半永久的に続くと思えるようなものなのだ。

250 ::2006/05/19(金) 00:35:05
この感覚は、今、社会ではどういう会社のどういう商品がヒットしているとか、
何処何処に行けばそれに出会えるとか、今どういう事件が起きているとか、そういう
時事的なものへの関心と、それの一早い収集能力や記憶能力にも同様な形態として作用する。
その関心の一つ一つが「友人」であるかのようにである。

251 ::2006/05/19(金) 00:43:46
だが、では一方でそういう友人と一緒に職に就くわけでもなく、親元にも
ワケありで戻らない人というのは、どういう人であると言うのか?
そういう人は人間ではないとでもいうのか?
これまでの定義からゆけば、そういう人は「明るみ」を失っている人か、或は
「明るみ」を維持するのに相当困難を伴う人とでもいえるのではないか?

252 ::2006/05/19(金) 00:53:37
こういう人というのは「一からやり直さねば」ならず、それ故「哲学」を必要とする。
とすると、こういうことが言えるのではないか?

3、40年くらい前までの日本では即ちまだ学生運動が功を奏すと感じていた頃は
「仕事も勉強もろくに出来ない人間」が「哲学を唯一の趣味としている」と言うのは、
社会的に恥とまで言えなかったが、時代が変わって、そういう人がそういう事を言うと恥で
あり、冷たい視線を浴びせられるようになっているのではないか?
もし、そうだとすれば、そういう人はそういうことを口にすら出来なくなる。

253 ::2006/05/19(金) 01:02:57
今の日本の文化は西洋の文化の流入によっているわけだが、その多くの文化が日本に
根付いたのにもかかわらず、「キリスト教」は少数に留まっている。
「哲学が趣味という人」に対する抵抗感は学生運動の失敗から幻滅感の蔓延が原因であると
思われるが、「キリスト教」が大いに広まっていれば、そういう抵抗感も無かったのではないか?
というのも、哲学はキリスト教と神学を媒体として親近感があるからである。
だから、欧米は日本と比べて「哲学を趣味とする人」を冷たく見ないのではないか?
だから、日本ではそのようなところだけが突出したことになるのではないだろうか?

254 ::2006/05/19(金) 01:10:57
だが、「哲学を趣味としている人」は少ないとまではいえない。
大学ではそういう人は少なからず居るだろう。
だが、ここで問題としているのは、そういう付き合いの一切ない人のことなのだ。
これは、さっき述べた「友と共にある人」と対照を成す。
それは単に友が居ないだけでなく、世俗的なことへの関心さえ極小であるというような人間である。

255 ::2006/05/19(金) 01:21:19
この両者が理解しあえるようになることは究極の理論となるのではないだろうか?

現代に於いて、哲学をするわけでもなく幸せに暮らしている人というのは完全か?というと
そうとも思えない。それはある意味、哲学を犠牲に、哲学をアポトーシスしているのだ。
ある意味それはキリスト教徒ではないにしても、「あなたの右手が罪を犯しそうなら右手を切り捨てよ」
のように「哲学を切り捨て」て何とか体裁を保っているのではないか?
そして、そうだとすれば、ある意味賢い選択である。

256 : ◆XHfFYSsgnM :2006/05/20(土) 15:45:02
tes

257 ::2006/05/20(土) 23:31:56
いよいよ俺の狂気も本領を発揮し始める

258 ::2006/05/20(土) 23:38:43
>>250を更に拡張するならば、一つ一つの商品、一つ一つの出来事、
一つ一つの気配り、一つ一つの言葉も親や友人に対するかのようなものである。
友を何処何処の店に誘ったり同じ食卓に着き楽しく食事するように
それら一つ一つに対してもである。

259 ::2006/05/20(土) 23:43:06
そして、その中には「歴史」も含まれている。
それは、共産主義運動とその失敗とその幻滅、
日本の敗戦、日本とアメリカとが互いに仮想敵国としたこと、
西欧列強の中国の侵略・・・・

260 ::2006/05/20(土) 23:45:49
日本人一人に付きユダヤ人一人が犠牲となる。

261 ::2006/05/20(土) 23:50:10
>>255
このような両者は何故存在するのか?
それは巨大者の受動的綜合そのものを表わしているか、
あるいは必要であるからだ。

262 ::2006/05/20(土) 23:55:32
そして、それはベーメ〜バーダー〜シェリング的な無底でもある。

263 ::2006/05/20(土) 23:58:45
そして、それは聖書そのものでもあるのだ。
現代に於いてエジプト的なものとメソポタミア的なものは存在する。

264 ::2006/05/21(日) 00:01:40
そして、それは素領域でもある。

265 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/05/30(火) 21:27:26

って私は家庭を持つつもりは無い
これ以上無い恨みと愛を持って誓う
環境には母がおり、維持していたのは父
そして祖父と祖母がいた
この環境を今では感謝している
家族、老人……この言葉は好きではない
お年寄りがいる環境、そして教育の質が未来を形作るだろう

266 ::2006/05/31(水) 08:50:29
上のは俺ではない(よって〜て書いてるから紛らわしい)あれからpcがおかしくなっちまった。今携帯で書いている。この場所が悪いのかも。

267 ::2006/06/01(木) 11:08:44
こりゃ場所の問題じゃねーわ。はっはっは・・・OTL

268 ::2006/06/01(木) 11:19:04
なんなんだこれ?ドライブCの最適化のスキャンが気が遠くなるくらい時間が掛り、やっと始まるかと思ったらまたスキャンするからやめてノートンやったらやったで、終らない・・・ダメだこりゃ

269 ::2006/06/02(金) 10:14:31
システムの復元もできない。

270 ::2006/06/03(土) 02:47:29
前略寝カフェから


前スレを貼っとこう
http://p2.chbox.jp/read.php?host=etc3.2ch.net&bbs=denpa&key=1120825510&ls=all

271 : ◆fawi0XS5FY :2006/06/03(土) 21:22:32
tesdy

272 ::2006/06/13(火) 21:49:57
近況の報告をしておこう。(誰に対してでもなく)

俺はさっきまで旅行から帰ってきた。
約2000キロに及んだ。その前のも旅行というわけではないにせよ、
仕事でもなく知らない道の往復をしていた。それを入れると約2500キロだ。
以前から、できることなら行ってみたいある地方があったのだが、あまり本気ではなかった
というのと金がなかったというので行けなかった。
今回前の会社の給料がそこそこ入ったということもあって、「ちょっくら行ってみっか」というわけ。
帰りには運転席側のドアのとってがいかれてしまった。スーパー銭湯に行って戻ってきたときには
とってがぐらついていてドアを開けられなかった。何の前触れもなかったのだが。

273 ::2006/06/13(火) 21:58:43
しょうがないから助手席から入ったが、今度は開けた運転席側のドアを閉めても
閉まりきらない。しょうがないんでロープを買ってきてドアが走行中に開かないように縛ってたら、
なぜか、閉まった。でもとっては壊れてるから車を出てドアをしめたら運転席側から開けられないのは変わらぬまま。
まあ、いい。それでも何とかなる。
問題なのは、金銭的な問題だ。せっかく前の会社から13万くらい入り、これから2ヶ月半後に
車検があるというのに俺は何をやっているのか?アホやなあああ。

274 ::2006/06/13(火) 22:14:38
>>265はひょっとしたら、俺があれ以降考えが出尽くしてしまったのでは?と心配し、
助け舟としてそれを書いてくれたのか?もし、そうだとすれば何て優しい奴だ。うう。
だが、(俺の思い違いでないとすればだが)そう心配しないでもいいよ。
あれから俺のPCががおかしくなってこうしてネカフェで書くしかないのだが、PCがおかしく
ならなかったとしても俺はしばらく読書してから書こうと思っていたところだった。
それは考えが浮かんでこなくなったというわけではなくて、前からそうしなければ
ならないと思っていたがなかなか出来ず、その頃ちょうど頃合がいいと思えたからだ。
俺は既にある愚考があるのだが、それを書くにはどうしても読書による知識吸収が必要なのである。

恐らく俺のPCはもう駄目かもしれん。あのとき二つのプロバイダーにTELで聞いたのだが、原因が不明であった。

275 : ◆6YIOOcWVJ2 :2006/06/17(土) 14:45:28
tesy

276 : ◆w3bTGo3B3U :2006/06/24(土) 20:58:49
tesyder

277 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/06/25(日) 19:22:37
ほしゅage

278 : ◆vey3HkpmXI :2006/07/01(土) 15:59:49
a etssdy

279 : ◆CpvJKiiEkU :2006/07/08(土) 14:43:17
etsyd

280 : ◆SxILx/q2LA :2006/07/15(土) 17:35:08
tesdyer

281 : ◆SlRS3MI9lc :2006/07/22(土) 15:47:33
etsyd

282 : ◆mctxwme7vc :2006/07/29(土) 16:01:01
tesyder

283 : ◆jzESFeJbVs :2006/07/31(月) 13:29:06
tseyder457

284 : ◆4Q6GWgRn3E :2006/08/02(水) 13:51:10
tesd

285 : ◆NX6z3Cmgno :2006/08/03(木) 13:58:47
tesyder

286 : ◆DXn4Cm/oKo :2006/08/04(金) 15:04:42
etsdyz

287 : ◆SZsVbkZZPE :2006/08/05(土) 14:34:04
a tesydsd

288 :-【存在】-:2006/08/06(日) 23:34:19
そ。

289 : ◆gPXJtAVecE :2006/08/07(月) 15:43:20
tesyd

290 : ◆oWdUgR4qBg :2006/08/08(火) 14:10:13
etsyder

291 : ◆gXPPMICaAM :2006/08/09(水) 15:38:44
tesdy

292 : ◆UyZJnCiIUE :2006/08/10(木) 14:14:37
etsdyer

293 : ◆PptKfJ7nF. :2006/08/16(水) 17:45:30
test

294 : ◆g9YeFzonbw :2006/08/16(水) 17:46:25
test

295 : ◆H9h1oFKHOM :2006/08/16(水) 17:47:32
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296 : ◆IG4px2QKzw :2006/08/16(水) 17:49:05
test

297 : ◆7ibmGPsi1s :2006/08/16(水) 17:50:26
test

298 : ◆IFkmThKilY :2006/08/16(水) 17:55:36
test

299 : ◆IFkmThKilY :2006/08/16(水) 17:58:38
test

300 : ◆frr2USwzfg :2006/08/16(水) 17:59:56
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301 : ◆81I6owb5dc :2006/08/16(水) 18:08:55
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302 : ◆QQ94pnYQks :2006/08/16(水) 18:13:25
test

303 : ◆kRxgdBGUlg :2006/08/16(水) 18:15:41
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304 : ◆6plcy.VPVY :2006/08/16(水) 18:17:55
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305 : ◆bzf0nDAmqA :2006/08/16(水) 19:02:02
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306 : ◆Un9TSrvqJU :2006/08/16(水) 19:04:42
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307 : ◆jZzPvFqXz. :2006/08/16(水) 19:06:37
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308 : ◆NQGD0gBFQs :2006/08/16(水) 19:07:19
test

309 : ◆NQGD0gBFQs :2006/08/16(水) 19:08:14
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310 : ◆yRvIIElTDs :2006/08/16(水) 19:10:36
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311 : ◆3NosD3Gy0. :2006/08/25(金) 17:45:55
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312 : ◆oAXW617fJs :2006/08/26(土) 16:22:50
etydysd

313 : ◆RsKrQ.Sono :2006/08/28(月) 14:57:03
etsdy

314 : ◆bIm3DXBVtI :2006/08/29(火) 15:21:24
a etsdysd

315 : ◆MtLTa.nE9w :2006/08/30(水) 16:39:40
tesyd

316 : ◆WsgdrioHUc :2006/09/16(土) 18:53:41
TES

317 : ◆k5/EuvaFnc :2006/09/18(月) 13:02:47
tes

318 : ◆YMg4AYYf4c :2006/10/14(土) 17:30:20
a tesdyz

319 : ◆aHOdpSVEq2 :2006/10/17(火) 17:46:13
t&rlo;se&lro;tyer

320 : ◆LtpAsKsuC6 :2006/10/21(土) 15:30:32
tesd

321 :名無しちゃん…電波届いた?:2006/10/24(火) 02:31:14
東京23区重要度(仮)

◎絶対必要
新宿区、千代田区、渋谷区、世田谷区

○必要
中央区、港区、目黒区

▲微妙
足立区、葛飾区、文京区、台東区、品川区、大田区、中野区、杉並区

△いらないかな?
練馬区、板橋区、江戸川区、豊島区、墨田区、江東区、

×埼玉に譲渡決定
北区、荒川区


322 : ◆qUdHpxo8Xg :2006/10/28(土) 18:17:39
tsed

323 : ◆/CSXKJnYew :2006/10/30(月) 21:47:54


324 : ◆9FEoY683WA :2006/11/02(木) 15:53:29
tes

325 : ◆.EncSABMPk :2006/11/05(日) 00:55:12
tesd

326 : ◆E3MS1xk/4k :2006/11/11(土) 14:22:51
tes

327 : ◆F.tbBYRTYI :2006/11/18(土) 18:36:32
tes

328 : ◆4gNG8Vc3xo :2006/11/25(土) 14:03:00
tesd

329 : ◆OpirOA.Bgk :2006/12/09(土) 17:08:03
tes

330 : ◆V2YxW38bOM :2006/12/16(土) 16:05:37
tes

331 : ◆sQfJK20gQU :2006/12/22(金) 15:06:01
888

332 : ◆JgZSG9aA/A :2006/12/25(月) 15:12:58
tesyd

333 : ◆NpnfFJCbBY :2006/12/25(月) 15:18:59
333

334 : ◆dSARtRNzjc :2006/12/26(火) 21:11:50
tesyd

335 : ◆KZ8Hg72eis :2006/12/27(水) 17:50:56
sety
>>943

336 : ◆PO5Te/kOzA :2006/12/28(木) 15:41:22
TESY

337 : ◆zwD/5M36II :2007/01/13(土) 17:37:57
ste

338 : ◆JjuM499aq. :2007/01/22(月) 15:16:39
tesd

339 : ◆Sg2Cn867tQ :2007/01/24(水) 15:32:02
tsey

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